【元】宴会☆部長のらくがき

ただの落書きです!気にしないで。

初公判から7年10ヶ月

地下鉄サリン事件が起きたのは、春合宿で朝飯を食ってる最中だった。「俺が普段、乗ってる日比谷線だ!」とA太郎先輩とS田が特に驚いていたのが印象に残ってる。幸いなことに知人縁者が被害にあうことはなかったけれど、亡くなられた方々や今なお障害に苦しむ方々に掛ける言葉は思いつかない。
結局のところ、この事件が起きて何が変わって、何が変わってないのか。また、何が明らかになったのか、一度じっくり考えてみたいとは思う。だが少なくとも、人を殺すということは、その本人だけの被害ではなくて、本人の父母、祖父母、子、孫、兄弟姉妹、恋人、婚約者、夫、妻、友人、知人、同僚等々へ被害を与えていることに他ならない。はっきり言って死刑にするだけでは、償いようはないのではないか。
刑罰は罪とのバランスが取れていなければならないはずであるが、27人を殺害したのならば、27回殺されなければ釣り合わない。重度の障害を負わしたのならば、残りの人生を重度の障害を負って生きなければ釣り合わない。婚約者を奪ったのならば、婚約者を奪われなければ釣り合わない。
とはいえ、厳密に釣り合わせるのは非常に困難であるし、残虐非道な行いに対して、同じ行動で返すというのも理性的な対応であるとはいえない。死刑廃止論者が唱える「国が人を殺すのか?死刑執行人の気持ちを考えたことがあるのか?冤罪だったら?」という意見にも一理ある。一理あるだけで被害者家族全てが納得するとも思えないけど。
イスラム教の教えに有名な「目には目を、歯には歯を。」という言葉がある。これは、「被害者は被害相応の報復する権利を持つ。しかし被害以上に仕返しをしてはいけないし、できることなら金銭で決着をつけなさい。」という教えである。戦争と同様に、殺人に対して殺人に報いる負の連鎖を、どこかで断ち切らなければならないのは誰しも理解できる。イスラム教では、「できれば金銭で解決する」し、やられた以上のことをやりかえしちゃダメ、ということで負の連鎖を断ち切ろうとしている。
これは大変理に適っていると思うわけです。犯罪者は、犯罪を犯すリスクと犯罪を犯すことによって得られる利益を両天秤にかけます。かっぱらって売っぱらって金を得ようと思った時、いくら高く売れるからといって米軍基地でF−22ラプター(2億$)を盗む奴はいないだろう。見つかったら即射殺だし、大黒屋で引き取って貰えるわけでもないし。それよりも路駐してるベンツとか狙った方が諸々のリスクが低い。車泥棒は捕まっても窃盗だし。逃げて射殺されることもないし。
だから、罪と罰のバランスがとれてないと抑止力なんて働かない。車泥棒も、もし人が乗ってて殺しちゃっても(強盗致死)、2人までなら無期懲役無期懲役とはいっても20年以内に仮出獄できちゃう。人生の一発逆転(何をどう逆転するつもりだかしらんが)を狙う奴なら、この程度のリスクは負える。俺は20年も刑務所に居たくはないが、その日暮らしの人間なら、どう転んでも得になるのではないか。
いつもどおり何が言いたいんだかワカラン文章だけど、「犯罪者の更正」とか「死刑廃止」について語るのも大事ですが、まずは被害者のことを考え、次に社会防衛のことを考えるべきなのではないでしょうか。ATMでお爺さんが殺されたりしたら、怖くてATMでお金を降ろせません。その他色んな殺人事件があって自分が遭遇するかしないか別にして非常に怖い。こんな世の中とっても嫌だ。みんなも嫌でしょ?どうしたら良くなるのか知恵を絞って考えましょうよ。